歩けど歩けどいつまでも続く砂また砂。のどは乾き、足元に映るは自分の歩く影ばかり。ひと山越えても、また新たな見渡す限りの砂の山。すでに、のどの渇きは極限に達し、泣けなしの水を数滴 舌の先に落とす。顔や腕などすでに日焼けを通り越してヤケド状態。それでも、我が進む道は砂山ばかり、振り返って見ても砂 砂 砂..........。靴底から砂の熱が伝わり、体力を消耗させる。無風である為、サソリの足跡も砂紋に綺麗に残る。いよいよ、連れ添ったラクダのこぶを切り水分補給するしかない。いそうの事、こぶに蛇口を付けておくべきだった。目はかすみ、意識は遠のき立っているのも限界が来た........そんな時、遙か遠くにヤシの木に囲まれた大きな湖が見える...この世のオアシス発見!顔を黒いベールで隠し、へそを出して踊る美女軍団も発見。助かった................そして、僕は美女軍団&王様に飲めや踊れの手厚い接待を受ける。食べきれない御馳走の数々。月の砂漠にラクダの列.........。そんな設定で鳥取砂丘を訪れた僕は、どうやら砂丘と砂漠の区分けが出来ていない様だった。砂丘はどれだけ広いのか?と言う事がこの地を訪れた事の無い人の疑問であると思われる。「鳥取砂丘大きかった?』『どうだった?』と聞かれると何とも表現が出来ない。どれ位の広さだったのか?大きかったのか?小さかったのか?海岸の砂浜よりどれ位広いのか?今もって、このくらいの広さだった。と説明が出来ない。『自分で行ってみなければ分からない広さ』である。土地の人や年配の方のお話によると『昔に比べると随分、狭くなった』と嘆く。子供頃野球をやった広場も大人になってみると、猫の額ほどの空き地であったと言う感覚もあろうが、確実に鳥取砂丘は狭くなっているそうで、いずれは消滅するとの事。それならば行かなくては!となった次第であります。喉は乾き........誠に残念であるが、訪れたのが3月と言う事もあり喉が渇かない。砂に映るは自分の影ばかり........残念ながら薄曇で影は出ず。歩けど歩けど砂また砂.........残念ながら遠くに土産店も見える。日焼けでヤケドの様...........残念ながら海風で少しはだ寒い。靴底から熱が.........残念ながら裸足だと砂が冷たいぐらい。サソリ....残念ながらサユリと言う人は居たかもしれないがサソリは見当たらない。残念ばかりであるが、ラクダには乗れる。僕が乗るのはフタこぶラクダである。コブとコブの間に乗る訳であり、もちろん観光用ラクダのコブを切って水分を飲んではイケナイ。観光用でも蛇口などは付いていない。その上、ラクダのコブの中身は水タンクではなく脂肪の塊であり、生まれた時や年老いたラクダは、コブがペチャッと萎むとの事........残念。それにもまして残念なのが、ラクダ様、結構お高い!その上、5分程の歩行で一人¥1800 二人乗り¥3000ラクダに乗っての写真撮影¥500 ラクダの前での写真撮影一人¥100と売れないグラビア嬢なみである。ラクダは気分を害すると中高生のヤンキーの様にツバをかけるそうで、マスク着用のラクダ様もいる。しかし、念願だったラクダには乗る。残念ながら昭和時代からタイムスリップしたムードの馬車にも乗りたかったが、ラクダが高額なので諦めた。卵好きの僕の数年来の夢であった『砂たまご』ご試食。塩付きで1個¥100。これまでには無い、新しいホクホクの食感であり、まるで焼き芋の様な『砂たまご』が売り文句である。お土産売り場の片隅で冷えきった『砂たまご』御購入。一口食べると、口の中の水分はすべて黄身に吸収され、いつものパサパサの食感。飲み物 飲み物.........ブフォ.......塩に頼ってどうにか完食....ブフォッ........数日前のゆで卵状態...........誠に残念!最後に鳥取らっきょうご試食。*それでも鳥取砂丘は一度は行くべき名所であると僕は思うのであります。 早く行かなくちゃ砂場程度になってしまうよ。 じゃぁ、今は何処くらいの広さなの?と言われても..............。*ひとこぶラクダはどこに乗るのだ。
おねえちゃんが股に出来たデキモノを調べているわけでは無い。日本三大名勝である京都の”天橋立”股覗きの写真である。天橋立(あまのはしだて)と言う何とも美しく、艶かしい響きの地に行ってみたいと兼ねてから思っていた。なんだか美女がスケスケの衣を巻いて、空中を浮遊している様な地名に惹かれていたのだ。当然のことながら、何の予備知識も無く名前の美しさだけで思い焦がれていた。旅に出るという事はそれだけの理由で十分であると中年になり実感している。そして、ここ天橋立は中年になってこそ訪れる観光地だと思う。美女がスケスケ衣を巻き浮遊していませんが、美女が股を覗いてはいます。洋服は着ています。残念ながら当然の事!ブスなお婆ちゃんもいます。同じく以前訪れた宮城県の松島も中年好みであるが、美女浮遊のイメージは全くなく、男性的であると僕は思っている。若い時の旅先は、かなりの観光地であってもサーフィンしかしなかったり、名勝の庭園、寺院があってもキャンプ場から出る事は無かった。銘菓のまんじゅうも試食のみ、有名店の味に舌ずつ見する事無く『オレ、チーズバーガーセット!』なんて胸を張ってた頃に訪れても、天橋立や松島の良さを見いだす事は出来ない。僕はポカポカ天気の閑散とした観光地が大好きだ。『昭和30年頃は、にぎわっていたのよ〜』なんて話が聞きたい。お土産店で流れるのどかな和太鼓やお囃子の音楽が流れる。試食は佃煮系から黒豆系〜乾きもの系〜そして甘いのも系へと移動し最後に一番、美味しかった物に戻る。お茶の試飲は最後に口直しとして頂き、『どれ買うかな〜』となるが、あちらの土産店も覗かなければならないので、即買!と言う分けにも行かない。どうしても大型店の品揃いは良く、ムードもあるので足が向くが、心優しい僕は小さいながら頑張ってる店で買ってあげたい、、、出来る限り。その親心子知らずで小規模店は感じが悪かったりする。食堂の前で呼び込みをやっているおばちゃんが居るとのんびりムードが一転し緊張が走る。観光地での昼食はとっても貴重で1日1回きりなので慎重に選びたい、失敗は許されない。他店のメニューも見てから『何処で食事をするか?』と検討したいので、いきなりの呼び込みはどうにも苦手だ。平気で遠くを見てシカトで通り過ぎる事が出来る人はいいが、律儀で心優しい僕はお断りするのに苦労する。と言っても声を掛けられない店には『こんにやっろ〜、絶対行かない」となる。ついでに言わせて戴くと他店を見ずに『いいじゃん此処で!食べよう食べよう』と言う人との旅行も、これまた遠慮したい。カバンから下調べをしてきたメモを取り出す旅馴れた人がいる場合は良い旅になる。銘菓の『知恵だんご』は何処が元祖なのか?各店とも元祖の看板 のぼり 暖簾がそれぞれあり、創業は明治時代が?江戸時代か?寛永 元暦だとかそういう”元号”呼び名は困る。こう言う場合は、工場から出て来ました風な、ジャケット型白衣に白い帽子のお爺さんの売り子が望ましい。着物姿や割烹着姿のおばちゃんも望ましい。笑顔無しぶさいくお姉ちゃん店と金髪男子の売り子の店は買わない。売ってる物に関わらず美人おねえちゃんの場合、近寄って行く時もある。フィッシャマンズ◯◯とか漁港が近くでないお土産物店で、干物や魚介類を買う人が居るのが不思議だ。瓶つめの岩のりや塩辛系だって買わねえ〜だろう、普通は。京都で塩辛買うか〜と製造元のチエックも怠らない。竹や木工で出来た民芸品も買わない、名入のライターやボールペンも買わない、扇子も買わない、ビニールパック入の乾き物も買わない、山積みになっているイモ菓子や箱詰めの菓子を買うにはまだ旅の途中にある『まだ、買える日あるよね』となる。旅人は気難しいのである。*着物をたくし上げて、股のぞきをしているデザインの手ぬぐい購入。 その娘の横には『天橋立節』の詩が書いてある。 時代遅れなお土産であるが、大変、気に入っている。¥370也。 股覗きの娘は古写真(明治時代?)から立ち上げたポストカードでその姿を絵にし た物です。 普通、手ぬぐいなんて買わないだろ〜。*その後、電動チャリにて天橋立を向こう岸までお散歩、誠に壮快なり。*お土産は、漁港などからクール宅急便にて日にち指定でご発送となる。 大人になったな〜と感じる瞬間。 お土産を全く買わない人との旅ほどつまらぬ旅はない。
雨降る寒い中、人気のない町で身体を震わせながら一人寂しくシェイブアイスを食べる。『随分遠くに来たもんだ』と故郷を思い出す程寂しかったハレイワタウン。もはや、その面影は無く今や観光バスにて此処マツモトシェイブアイスを食べにくると言うのだ。その昔でも、シェイブアイスを食べなくてはとの思いで雨降る中、寒さをこらえ食べたものだが......今では数えきれない位のデザインのTシャツがあり、全てにありがたみが薄れる結果となってしまって、日本に帰る頃にはマツモトへ行った事など記憶も薄れるほど観光化されてしまった。同じシェイブアイスでもお隣のアオキシェイブアイスは、全く人気がなく閑古鳥も泣かないくらい客が入らない。同じ食品を扱って此の差は、僕だったら、屈辱的 挫折感 絶望感 敗北感で居たたまれなくなると思われる。店番には年老いた日系のシワ深く肌黒いお婆さんとアロハを着た白髪のお爺さん。しかし、人情に弱く、正義の味方であり、まれに見る人の良い僕はマツモトでは食べない、絶対アオキで食べる。となり、マツモトに車を置きアオキに入店。(違反)この戦は、知人の松本と青木の比較にも思いが及ぶ。ちなみに、知人の松本と青木はまったく双方に面識は無いし、趣味至高含め何ら接点も無い。入店すると、閑散とする店内。店番には年老いた日系のシワ深く肌黒いお婆さんとアロハを着た白髪のお爺さんの姿は無く、おそらくハレイワNO.1の美女(白人20歳前後?)が店番をしている。バイトか?彼女に愛嬌があれば島全体でもかなりの高ランキングだと思うのだが.......残念。アオキストア全員に屈辱的 挫折感 絶望感 敗北感が染み込んでいるせいで愛嬌がまったくないのか?売り上げを伸ばそうと言う気持ちはサラサラない。これはアメリカ本土でも言える事だが、アメリカ人はお客様に手もみをしない。お客様は神様ではない。日本人なら誰でも感じる事で.........。マツモトとアオキの差は何か!?それは言うまでもなく歴史の差でありアオキ1981年開業に対し、マツモトは1951年の開業とあり、アオキも『勝たなくてもよいので、おこぼれ頂戴』程度の開業かも知れないので同情はいらないのかもしれない。建物は古くムード満点だが歴史は古くない的な、金さえあれば歴史も作れる的な鎌倉,京都辺りの金儲け主義の商売とは異なる事は、店員の無愛想で察知できる。無愛想も時には効を奏すのだね。もっとも、1981年開業からすると30年余り経つのだが、『30年の歴史なんて』と思う僕は歳老いたと言う事である。かくして武士の血を引き、強きを倒し弱気を助ける拙者の心意気は空しくハレイワの青空へ消えたのだった。*アオキのシェイブアイスのフレーバーは自家製で20種類以上。 アイデアだけでは歴史に勝てないのですね。*ご承知の通り、車まで焼くシュリンプワゴン『マッキーズ』の海老は美味い!*ハレイワで一番の光景は、大波とトラックの荷台で焼くフリフリチキン(写真) だよね!*大昔、サーフィン映画で見たハレイワシアターは無くなって久しいが、ピンクの橋 は昔と変わらぬ風景となっているハレイワタウン。だよね!
久しぶりにワイキキに着た。この街は不思議な物で、それなりにホテルなどが増えているのに景色が変わらない。カラカウア通りが一方通行になった事は別として。三十数年前に泊まったホテルも、全く変わらず営業している。当時もワイキキのホテルの中に置いてもかなりのボロであったが、そのボロさも昔のままで、僕はタイムスリップしたかの様である。調べてみると1963年に新築、1998年改築とある。僕が贔屓にしていた頃は1970年代であるので、その後改築した事になる。はて?何処を!?少なくともシミだらけの絨毯や音の大きなエアコン、スプリングの堅いベット 雨漏り サニタリー等の修理であろうか?少なくとも外見は全く変わらない。海岸線に建つこのホテルの鉄製の手すりはなぜサビないのであろうか?湘南地方の海岸線は自転車を筆頭に鉄という鉄を買ったそばからサビさせる強力な潮害がある。このワイキキには潮害が全く見られない、たいして手入れしていない樹木も潮害を受けている様には見えない。街路樹の葉っぱも塩を冠っていない。舐めてみても塩は感じない。ワイキキは海上は風がけっこう吹くと思うのだが........海水を舐めてみるとかなり薄い塩味である事が分かる。開口健ならばオシッコ程度の味と言うであろうか。一方、湘南の海水は咳き込む程、しょっぱい。ちょっと手を加えれば塩ラーメンも作れるのではないか?と言うぐらい味がある。この差が潮害に影響あるのではないだろうか?それがどうしたの?と言われれば、特に何もありませんが.........。我々、園芸家には大きな問題となる場合があるのです。対策や結論は企業秘密となる訳ですが..........。夜のワイキキは随分と健全になった。一昔前は、カラカウアでもクヒオでも、ストリートガールが街に溢れ、眺めるだけでも楽しかったし、ドラックも街に溢れていた。毎日、フラフラしていると彼女らと挨拶する様になり、決して後ろ指刺される様な人達ではないと知る。 白いミニスカートの金髪 黒いホットパンツの黒人 赤いハイヒールの金髪 黒髪のポリネシアン 見るからに本土から来た田舎者娼婦 宇宙ムード娼婦 みんな流れ流れてこの島にたどり着いたのだろう..........みんな何処へ消えたのだろう。幸せになったのだろうか?まだ此の島にいるのだろうか? 時代なのか?僕の行動範囲が変わったのか?今ではその種は裏街道に隠れている。爆音を鳴らし観光客を乗せる輪タクも数年前からかいなくなった。輪タクがないせいか、音楽業界が低迷しているせいか町に音楽が無い。町に音楽が無いから行き交う人々のテンションはバラバラであり、町にお祭り気分が無い。マイケルジャクソンがデビットボウイがTOTOが街を歩く人のリズムを作る事は無くなった。(時期によりラジオから流れるヒット曲は異なる)音楽がなくてもワイキキは楽しい。物が溢れている日本に住む我々は、買い物の新発見が無い。ハワイで流行った物が半年後、日本で流行るなんてのは昔話しである。新発見は無いがどの国民よりも買い物が多い日本人。小生、セール品ジーンズ$16 Tシャツ3枚 トランクス1枚購入。買わないのが美学の旅もある。*写真の様な手すりはサビが無いか確認後、ムードを出そう。落下注意。
読書の秋にと買い込んだ文庫本はことごとく読む気にならず、ベットの横のナイトテーブルで山積みになっている。本屋で立ち読み時に物色している時は、おもしろそうな本も家に帰ると『なんでこんな本買ったんだ?』となる場合もある。この種の本は二度と読む事がない。では、どんな本が購入しても読まないか?と言うと、自分の趣味の範囲であっても読まれない本もあるが、題名だけで買う場合や、新しい分野を切り開こうと購入した自分本来の趣味以外の本が読まれないと結論に達したのだが..........。読書の秋でもないのに、自分の趣味範囲以外でも、今、出会う本、出会う本、面白い。レンタルビデオと同じで『当たる!』とハズレるまで借り続ける様に、本は買い続ける、そして読む時間が追いつかず、購入した時から時間が経ち『なんでこんな本買ったんだ?』となる。書店で平積みであっても我が家では山積みになる場合もあり、芥川賞でも直木賞でも哀川翔(ダジャレです)でも僕の感性に左右される事になる。本屋と言うのは、大型店 小規模店に関わらず店内に一歩入った瞬間、さまざまな分野の本が隙間無く陳列されている。それは人生の縮図であり、輝く様な人生を歩む人にも、月明かりにひっそりと暮らす人にも、暗闇で息を殺して暮らす様な人にも、参考になる情報がある。お産から幼稚園に入園する準備から少年マンガ ゲーム攻略本 中学高校の部活系 音楽雑誌やファッション雑誌 世界の地図 美術 エロ本 冠婚葬祭 育児 旅行記 料理 人生論 囲碁 歴史本 健康本 マネー 出世の方法 老後 葬式 墓石の選び方............この世に生命を受けてから棺桶に入るまでの、人生において体験するであろう事柄の全てがある。体験しないであろう情報も数えきれないほどある。水着ギャルがウインクしてくれるのも本の表紙だけだ。この膨大な知識を売っている店員が全知全能の神ではないのが不思議である。書店員がブタ顔のおばちゃんやモグラめがねのオヤジだから、我々、凡人が哲学書 歴史本 政治経済などの威厳ある本も臆する事無く買えるわけである。売り子がイエスキリストや哲学者の風貌であったら、欲しい本をレジに持って行けない状況も発生する、レンタルエロビデオ→カウンター美女〜やむを得ずレンタルせず!の状況となるので、書店のレジは印象に残らない風貌な人が良い。僕は読書家ではないが、それでも今までに段ボール数箱の本を処分してきた。これぞと言う本だけは本棚に殿堂入りさせて知的なインテリアになっている。昨日1月27日 JDサリンジャーが亡くなった。言うまでもなくアメリカ人の青春バイブル『ライ麦畑でつかまえて』の作者である。僕の本棚にも永らく『ライ麦畑でつかまえて』が静かに他の殿堂入り本と共に並んで我が家の威厳に一役かっている。数十年ぶりに手に取った『ライ麦畑でつかまえて』は、表紙はスレやシミ、ページをめくるとすっかり黄ばんでしまっていた。1976年発行とある。1976年もずいぶん古い時代になってしまったのだ。数ページ読んでみる...........。まだ、古本の匂いはしないが...........ヘソクリも挟まっていない。サリンジャーは他の作品も含め、主役は10代~20代の微妙な世代のエゴ 慈善 慈愛 見栄 嫌悪感 偏見 願望 繊細 弱さを巧みに描いている。70年代、ロック 長髪 サーフィン 夜遊び 徘徊 の日々に明け暮れる若い僕にはうってつけの本であったと言いたいが、青春まっただ中の世代には理解されないのが世の常であり、無関心 無感動を売りにしている僕等にはサリンジャーはちょっと難しかった。じゃぁなんで『ライ麦畑でつかまえて』読んだの?と聞かれれば、僕等のバイブル『イージーライダー』の主役ピータフォンダは『弟そのものだ』と姉であり女優のジェーンフォンダが本のインタビューに答えていたので、慌てて購入した訳です。『ライ麦畑でつかまえて』を読んで変わった事?その後、時代が変わり、おしゃれなパン屋にライ麦パンが店頭に並ぶ様になり、僕はライ麦パン好きなんだよね〜とトレイに乗せ、何もかも分かってるフリをする中年になった事。*本当はライ麦の味もまったくわかりません。 本の内容も忘れたな〜、もう一度読み直すか!の気持ちも正直ありませんが、僕の 本棚の主役である事に変わりはありません。 次に手に取る時は古本の匂いになってる事でしょう。 *書物は自分の現在置かれている感情が、良い本も、つまらぬ本も作るのですね! 『ライ麦畑でつかまえて』初刊は1951年 いまでもアメリカ人は読み続けているとか.......。 ご冥福を祈ります 合掌。